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色々ないろいろを

相貌失認

引き続き東田直樹さんの本を読んでいます。

自閉症の僕の七転び八起き

50pの「顔のしわ」という文章の中で、鏡に映った自分の顔が、おでこに力が入って額に三本のしわがあったために自分の顔として認識できなかったというエピソードが紹介されていました。

相貌失認

自閉症の方の中には、この相貌失認の状況がある人がいます。
東田さんのように、自分が認識できない程の深刻な状況ではありませんが、ウチの息子にも軽くその傾向があるように思います。
息子にもいくつか、ああ、相貌失認からきていることなんだな・・・と思う出来事がありましたが、これは、息子が中学生になったばかりの頃のエピソードです・・・。

息子は小学生の頃にも、「人の顔を覚えていない」ことでトラブルになることがありましたが、中学生になり全ての生徒が同じ制服姿で、また教科ごと、習熟度ごとに頻繁に教室間を移動するので、誰が誰だか断定できないことが増えて、相当のストレス下にあったようです。
そのあっぷあっぷした感じが標的になったのでしょうか、ある日誰だかわからない生徒にトイレに呼ばれて、いじめにあいました。
幸い、あれ?と不審に感じた担任が息子に状況を聞いてくれて、息子は誰だかわからない生徒にされたことを話すことができました。
担任の先生は学級でそのことを話してくれて、やった者に名乗り出るよう言いましたが名乗り出た者はなく、また目撃者もいなかったので、同学年の全ての男子生徒の顔を写真名簿か何かで照合をしてくれましたが、息子にはついにそれが誰だかを同定することはできませんでした・・・。
私は事後にそのことの報告をいただいたので、担任の先生には、「息子は人の顔の覚えが悪い傾向があること、その傾向を髪形や声、服装や持ち物などで情報を補い誰が誰だか人物同定をしてたいたのに、中学生になって制服姿になりそれが上手くいかなくなってストレスがあること」をお話させていただきました。
担任の先生に、どれだけの自閉症に関する知識や理解があったのかはわかりませんが、教職としての経験や洞察が素晴らしい先生でしたので、いじめの対応として適切な行動を生徒たちに示してくださり、息子に、二度と同じことは起こりませんでした。


当時、私は息子に「自閉症」という言葉を会話の中では使っていませんでした。
ただ、息子には、普通の人が普通に出来ることで出来ないことがある事実と、それを自分が出来る能力で補ない自分なりの解決を目指して欲しいこと、その実例として私が幼い頃に試みたことの話をしました。

実は私、瞬時に左右の判別がつきません、今でも。
たまにそういう同じ傾向のある人に出会います。ので、確率的にはわかりませんがそういう傾向のある人は、確実に少数だけどこの世の中にいるようです。
私は小学校の中学年頃に、自分が何やら覚えのない失敗をしているようだと気が付き始め、世の中では当たり前に左右を瞬時に理解できるのが普通だという衝撃の事実を知りました。
そこで、仕方がないので失敗を防ぐ解決法を編み出しました。
それは「私は左利きという不動の法律」というもので、左右の判別をする際に、「私は左利き」と唱えてじっと自分の体の感覚に、どちらの手に力を込めることが出来、繊細に動かせることが出来るかを問います。そうすると、「こちらの手だ」とわかる感触がありそちらの手が「私は左利きという不動の法律」により左手と確定するので、もう一方の手が右手と確定します。
その思考と感覚の過程を経て、私は毎度毎度、左右を判別するのです。


息子には、絶えずなんだかんだと出来ないこと、わからないことがあるようですが、反面、幸いにも、容易に出来ることがいくつか兼ね備わっているので、それらの能力、いろかたちの相違が敏感にわかること、地理の記憶やエピソード記憶に強いことなどの能力を総動員して、世の中の出来ないことわからないことに、今では、自分なりの折り合いをつけて生活をしているようです、多分。
ただこれはやっぱり根本的な解決ではないので、どうしても時には思ってもみないほどの現実離れした失敗をしてしまうことがあります。
その「わからないんだ、できないんだ」というがっかりする現実を突き付けられる度に、息子は「どうして自分はこんなふうに生まれついているのだろう」と悩み、その姿を知るのは私にとっても血を吐くような悲しみがあります。

その悲しみを東田さんの姿にも感じます。
また最近知ったことですが、高機能自閉症者であることを控えめにカミングアウトしている米津玄師さんにも感じます。
彼らの、その透明で純粋な悲しみに一生懸命に向き合う素直さが、私を励まし、心は感謝の気持ちでいっぱいになります。

自閉症の、どんなふうに生まれついていても、私は、ただ幸あれと望むばかりです。


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読書ノート「自閉症の僕が飛びはねる理由」

著者の東田直樹さんはけっこうな濃度の自閉症の方である。
そしてその世界では有名な方である。
私は、彼が高校受験に臨むドキュメンタリー作品から以降、いくつかの彼に関するドキュメンタリーを視聴してきたが、著作を読んではいなかったので、急に思い立って図書館で予約をしてみた。

自閉症の僕が跳びはねる理由

自閉症を知らない人に自閉症を説明するのは本当に難しい。
というか、自閉症を知っている人でさえ自閉症を理解するのは本当に難しい。
この本を手に取って、それを繰り返し繰り返し思った。




NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」

私が録画しておいたこの番組を見ていた時、リビングを通りかかった当時高校生の娘が再生中のテレビ画面に吸い寄せられ、そしてこう言った。
「この人はどういう人なの?」「おにいちゃんと関係があるの?」「お母さんは何で見てるの?」
「この人はけっこうな重度の自閉症の人。会話のコミュニケーションは困難だけど、キーボードや文字盤なら意思表示出来るんだよ」「お兄ちゃんとは直接関係はないけれど、障害特性を理解するには勉強になるし」
「お兄ちゃんは障害者なの?自閉症なの?」
「日本の施政では障害者とは手帳を発行されている人をいう、手帳には二種類あって・・・・(省略)・・・・、お兄ちゃんは手帳を持っていないから、そういう意味では障害者ではないけれど、でも小さい時から困ってはいるから自閉症というだろうね」
「え、そういうことなの?そういうことなの?」
「あんた、今まで気が付かなかったの?」
「いや変わっているとは思っていたよ、でも、そんな、思わなかった・・・」
「じゃなんで小さい頃から療育センター行ってるのよ、周り障害のあるこばかりじゃん」
「いや、なんでかな~って」
「あんた、のんきね」
「うん、多分・・・」「気が付かなかった~、今知った~」

一緒に育てられた兄妹でさえこんな理解(笑)、幸か不幸か。
自閉症とは何か、っていう理解は、多分、受け取る人がどう思いたいかで変わるのかも知れない。
娘にとっては、ずっとお兄ちゃんはお兄ちゃん以外ではなかったのだろう。

のんきであどけない話。


「続けることが出来るか出来ないか」

私は高校二年生の頃から美術予備校でデッサンなんかの受験準備を始めたのだけれど、
いわゆる美術予備校というところはかなりの辺境で、けっこうな多浪もいるし地方から下宿して通っている人もいて、当時の私のような現役高校生なんかとは、異次元でまとっている世界が違う。
私にとっては色々な意味で刺激的な環境だったわけだけど、その魑魅魍魎の人の中に京都から来ているスカしている人がいて、
ある日、なんの時だったか「才能のあるヤツなんて腐るほどいて、だいたいはみんな同じような者、続けることが出来るか出来ないか、だけ」と発言をした。
その言葉をこうして35年くらい覚え続けている私なので、きっとその言葉が図星で痛かったのだろう。
そのスカした人がその後どういう人生を過ごしたのかは知らないが、一方、私にとっては「続けることが出来るか出来ないか」の問題は常に切迫したもので、例えて、私が過ごしてきた人生にタイトルをつけるなら、まさにそれ。

「続けることが出来るか出来ないか」



手術の前後、年末年始のヒドイ風邪と、4か月の間お稽古を休んできたけれど、もうそろそろ復帰しようと思う。
この先のことに何の展望もないけれど、努力しないでいることは癪に障る。


うまくは言えない

年末年始に、ヒドイ風邪の家庭内プチパンデミックに見舞われた。
家族の中で、私が一番症状が重く出て、近年覚えがないほどヤラレタのだったが、ようやく連休明けから「治った」気持ちになった。
風邪で寝込んでいる時も、私の場合、頭の中の考え事は止まらない。
そしてこの時期、年賀状を書くなんて、年一の作業をするもんだから、あの人やらこの人やらのことを考えるので、ますますたくさんの考え事が膨らんでしまう。
ひとのことなど考えたところでいいことはないのにね(笑)。
考え事はまとまらない。
書きたいことも、ほとんど考えているうちに「伝えたいことか?」と疑問が出てきて止めてしまう・・・。
ホントは大きく困っていて、でも考えても前に進まない、そういう時期もある。

私の人生の中で大きく危機だったのは二度ほど。
留学中、目的を失ったと思った時と長男がどうやら障害らしい、とあきらかになった時。
その時の危機度に比べたら、今は危機に入らない(笑)。
お茶を飲みながらため息をつく程度、ほんと朝飯前ぐらい(笑)。


絵でも見に行こうかな。


クリスマスの思い出

私は小学校の低学年の頃、出身幼稚園の聖歌隊をしていて、なので、クリスマスの思い出と言えば、何といってもその聖歌隊で歌ったことが一番の思い出である。

夕方、クリスマス当日の木造の教会は、いつも練習をする昼間の時間帯の温かみのある姿とは異なり、神秘的で少し怖いような影を帯び、入り口の大きな木のイルミネーションは、やはりどこか遠い別の世界を感じさせた。
聖歌隊のお仕事が終わると、不思議な味のするケーキが一切れ配られる。
その慣れない味の特別さは、自分が歌を歌った褒美としても特別だった。


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私にとって、この聖歌隊で歌った体験が、最も幼い時の音楽の喜びの記憶であるように思う。
何十年も何十年も色あせない、尊いその喜びに感謝をしたい。
心に刻まれた美しい音色が私の中にあったからこそ、今もなお、歌うことが嬉しい。