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色々ないろいろを

見える聞こえる

「幻聴妄想かるた」予想外のヒット続ける理由 全然、他人事じゃない



私のこれまで生きてきた時間の中で、幻聴は一回、幻覚?は二回ほどあった。
いづれも単発的な状況でその場で一回限り、繰り返すこともなかった。

幻覚?は二回。
どちらも美大の一年生のとき。

最初のは、入学間もない頃だったと思う。
共通絵画の授業の前か後か、構内を移動していて、不意に世界が鈴の音のようなりんりんとした笑い声に包まれたような気がして(幻聴も含んでいたのね・・・)、目の前の景色が、飛び出すカードを開いたようにグリッと立ち上がったような気がした。
いや、立っているもの(階段や樹木、校舎)が際立って立っているように見えたので、見えてないものが見えたとか見えていたものの形が変化した、というわけではない。だから自分では、この光景は幻覚?って受け止め方なんだけれど・・・。
とにかく眼に入る景色の色が鮮やかで、心が幸福感に満たされて尋常ではなかった。そして、音が遠のくのに連れて世界は元の世界、当たり前に、ものが垂直に静かに立つ世界に戻っていったのだった。多分時間にして数十秒の間だと思う。

後から、その時の自分の精神状態を分析してみたことがある。
その頃、自分でなんとなく感じていたのは、入学して受験の独特のプレッシャーから開放され、授業の共通絵画のデッサンの時に生まれて初めて「デッサンをしていて楽しい」と感じたこと。予備校では腐るほど描いたあの無機質なデッサンが(笑)。
その以外な感情に自分でもびっくりしていて、なんだか素直には認められないでいたこと・・・。


二回目は、一回目の一、二カ月後くらいの時。
某美大では、一年生にはどの科の一年生にもすべて夏の共通絵画の課題が出されるのだが、その課題の一つに、動物のクロッキーというものがあって、この日は一日、上野動物園のあちこちをクロッキー帖を持って歩き回ってくたびれて、日暮れてきた頃、不忍池の畔から池を横切る橋を渡っていた時、幻覚?が訪れた。

池の南端ここら辺りで

閉園間際の時刻だったので、美しい夏のまだ明るい夕暮れの中、周辺にひとけはなかった。
私は、池を横断する橋を独り占めで歩きはじめた。
橋の両脇にはたくさんの蓮がその大きな花を風で揺らしていて、金色のおしべの糸が、はらはらと崩れては池に落ちていった。
その時、観音か菩薩かわかんないけど神の祝福のような強烈な幸福感が心に湧き上がり、夕焼けのグラデーションの赤と青が光り輝いて、橋を渡る一歩一歩がふわりふわりとスローモーションで流れて行った。
例えるなら、「風の谷のナウシカ」のワンシーンのような(笑)。いやワタシはがっしりクロッキー帳を抱きかかえていて、腕を広げて金色の野を跳び歩いてはいないけど(笑)。

その祝祭のような時間が過ぎ去ってしまい、橋を渡り切ってしまった私は池の反対側に立ち尽くしていて、でも心のどこかはまだ温かく、そして感じたことは「これでいいのだ」という肯定感だった。
私はその夏、自分が入学した科が第一希望でなかったこともあり再受験の準備をしていたのだが、それが馬鹿馬鹿しく思えてきて、そんなことはどうでもいいのだと答えをもらったように思えた。



幻聴の体験についてはまた、いつかの機会に書こうと思う。


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アサーション

本日の午後のワイドショーの話題は、日本体操界女子の暴力、パワハラ問題について。


言った言わない、適切不適切、言葉尻、相手の態度をどう捉えるか・・・
どうとでもどのようにでも、すれ違うことにブレーキをかけようとしなければ、両者はすれ違い放題になるんだなぁ・・・、と思った。
どの世界でも、自分の感性や資質を資本とする仕事に臨んでいる者は、自分の捉え方に炎上する傾向にある。
それを悪いとは思わない。その感性資質なしでは前提なしに仕事にならないから。
でも、陥りやすい危険があることを知ることは必要なんだと思う。

自分が感じたことは自分の中では十分に正しい。だけど、それと同様に自分の外では自分と違う価値観が広がることを確認しなくちゃならないんだろうね。
誰かに意見を聞かなくてはならない、ということだろうか。
どう思う?どう感じた?とリサーチしなくちゃいけなくて、炎上する自分に、ドウドウと手綱を引きながら他人の意見を聞き検討しなくちゃならないんだろうね。
それが出来ない場合、つまり誰にも忌憚のない意見が聞けないという環境にしかいなかったのなら、それが危険。
そこが致命傷ということだろう・・・。



アサーションとは? 意味、トレーニング、コミュニケーションにおける効果について【ドラえもんのキャラでタイプ分け】

簡単に言うけど、実習で「アサーション」やります、と言われたら誰もかれもがぐったりするほど大変。まず上手く出来ない。こんなに出来ないのか、とショックを受けるほど出来ない。
私たちの受けてきた日本の教育の中に、アサーションはなかった。
で、訓練もされて来なかったから、知識でわかっているぐらいじゃ全然太刀打ち出来ない。

娘や息子、夫という家族とさえ、アサーティブに、すれ違う何かについて話し合うことは難しい。
いわんや他人とは・・・、そんなレベルの現状で、何を検討していけばいいのか。

とりあえず、外国人労働者がたくさん入ってくる前に、「アサーティブに話し合ってください」っていう実習をみんなで受けてみて、いかに自分が不自由かショックを感じてみるといいんじゃないかと思う。
そこから、互いに話し合っていくことに接近出来れば幸いだ。


認知症ケアとCAPP

昨日、参加した日本心理学会公開シンポジウム、今回のテーマは
認知症医療への心理学的貢献(認知症患者の支援に対する心理学的貢献)
というもので、パネラーの先生が三人登壇、
そのうち印象に残った内容の講義は、
認知症ケアにおいて大切なこと~老年心理学からのアプローチ~、大阪大学大学院人間科学研究科臨床生死学・老年行動学分野教授、佐藤眞一先生のもので、

心の論理(相手がどう感じているか考えているかを推測し理解すること)が、認知症の人と介護する人とではすれ違うこと、
当然、反応が異なってくるので日常会話もすれ違ってくること、
認知症特有の視覚の狭さや人物同定障害、幻視などの状況により、現実の捉え方が異なりすれ違う原因になること、などを教えてくれました。
で、
認知症の人に、人間の顔の表情(喜び、悲しみ、恐怖、怒り、驚き、嫌悪)の写真カードを見せて、その表情の認知、感情を推測するテストでは、一番キャッチしやすい(正解回答する)カードは、「喜び」で、また、若年の人の実施結果と比較して高齢の人が上回るのは「嫌悪」のカードであるとの結果を示して、介護の現場では介護者が「嫌な表情で接しない、笑顔でいることが大事」と教えてくれました。



今、私はCAPP(コンパニオンアニマルパートナーシッププログラム)の参加にあたり、自分のコンパニオンアニマルがいない状態で、そんな私のみが参加して活動のお手伝いをしているわけなんだけれど、
で、そんな状況で五回程参加してみて、「役にたっているのかしら?ワタシ・・・」と無力を感じ始めていたのだけれど、
昨日のシンポジウムを聞いてみて、認知症患者の支援に「笑顔が大事」なら、思いっきり笑顔でいられるのなら、コンパニオンアニマルなしでいてもいいのかな・・・と思いました。
なので、とにかく笑顔で頑張る。CAPP。


支援支援というけれど

支援で治癒する精神疾患なんてそうそうあるもんじゃないってば。
依存症でも、神経症でも、おっそろしく背景の理由があって、聞けば聞くほど、知れば知るほど暗澹たる気持ちになって、
どうしよう・・・と一緒に途方に暮れるばっかりよ。

母親の育児相談の傾聴を一年間やって思ったのは「すみません、私には無理でした」

出来るように思えて出来ないのが他人の話を聞くこと・・・。
こなれたスーパーバイザーのもとで指導してもらって丁寧に勉強したって、到底私には出来そうにないわって悲しくなった・・・。
いや、向かない人に頑張られたってクライアントさんには迷惑だからいいと思うけども。

色々な人がいたけどね・・・。
警戒心むき出しで、食ってかかるために話をしている人、
とにかく話をしたくて、一方的に話続け、対話の相手が実はいらない状態の人、
相談しているようで、実は言ってもらいたいことを言ってもらうために話をしている人、
みんな身に余って困ってしていることだから・・・って理解しても、破壊力がすごくて、なかなかリカバリー出来ない。
「共感」ってどういうことをいうのか、多分、自分の状態は「共感」じゃなくて「共揺れ」だろうとしかわかんなかった・・・。
撤退が最大の誠実さ、そう痛感しました・・・。

支援支援、というけれど誰が出来るのよ、アナタ?って言いたくなる。

かなり違う

日本において、モンゴル人がうんぬんと話題になるのはまず角界の話題。
本日の午後も、テレビ各局では相撲とモンゴル人の報道にあふれている。

モンゴル人と日本人はかなり気質が違う。
なのに、日本人はモンゴル人が日本人と似ていると思っている、なんとなくの程度でも。



留学して感じたことの一つに、「万里の長城って、漢民族が騎馬民族が嫌でドカーンと作ったもんなんだなぁ~」という実感。
日本人も農耕民族という意味では漢民族に近い、騎馬民族に比べたならば。
そのリズムの違いについては我が小島先生の十八番(笑)。

小島先生
民族文化の違いからみる“リズム感”


私が感じたモンゴル人のモンゴル人らしさ↓
・モンゴル人の目上の者に対する感覚は絶対だし、たとえ知らない人に対しても「姉さん」「兄さん」と話しかける敬意を尊ぶ。
・こつこつよりガツンといきたい成果に対する姿勢。その場その時にうまくやることが「かっこいい」
・お酒の席の豪放磊落、日本の酔っ払いの比ではない。
・もてなし。一期一会であっても懐こく濃厚にもてなしてくれる。
・疾走するスピード感。空と大地と間に我、一人、のスケール感。
と・・・、書いていっても伝わらないよね、きっと・・・。


留学中、語学の授業で先生と何気ない話をしたとき、
「寮の私の部屋の窓の外に、いつも鳩がいるんですよ。どうしてあげたらいいのか困っている」と話したら
「鳩なんてどーでもいいわよ!日本人ねぇ~」と、日本留学の経験のある先生に笑われてしまった。